大晦日に2010/12/31

新宿御苑にて
今年は夏ごろからいろいろな事が続いておこり、
ばたばたと駆けまわっているうちにもう年の暮れになってしまった。

父親の死を知らされたのが8月の初めのことだった。
私にとっては既に過去の人で、今さら関わりも無いことだと思っていたが
戸籍上は籍を抜いていても親子関係に変わりはなく、負債の相続が発生するのだ...と聞いた時は
悪霊に内臓をぎゅっと握られたような気分がした。
暑いさなか役所や裁判所をいくつもまわり、相続放棄の受理通知が届いてはじめて人心地がついた。

その間に母親が血尿を出し、病院へかかることになった。
R病院では、結石があるようだということで入院、破砕術を試みたが改善せず退院となった。

その後の検査で子宮頸がんの疑いありということでT医大へ移り精密検査を行ったところ
進行した子宮頚がん(IV期)であり、膀胱への浸潤もあるということだった。
既に手術はできない状態で、放射線の腔内照射が有効だが、T医大にはその設備がないとのことで
その場で紹介状を書いてもらい、癌研へ移ることにした。
どの病院でも検査や結果待ちなどで何日もかかり、入院できたのはもう10月も半ばを過ぎた頃だった。

告知から入院までの日々は、母の心の状態を案じ、私の家で寝泊りしてもらっていたが
息子(孫)とふれあっている間は終始笑いが絶えず、私としてもずいぶん助けられた。

母はがんについての知識も乏しく、低い生存率のことも知らないのが幸いしてか、入院してからは
常に前向きな気持ちで治療に取り組んでいた。
ただ、一通りの治療を終えて退院する頃には治療の副作用もあり、体力的にもかなり落ちており
10日間ほどだが、私の家で療養生活をしてもらった。
がんに良いと思われる食事や生活など、ともに考え親身に世話をしてくれた妻にはほんとうに感謝している。
本人の希望もあり、実家に戻っていったのがもう12月の半ばのことだった。

そうしたばたばたのなか、あっという間に季節が過ぎてしまったが、息子はこの数ヶ月でぐんぐん成長しているのだった。
夏ごろは、ようやくハイハイしていた位だったろうか。今では手を引いて散歩する日々である。

いろいろな事があったが、仕事もあり、家に帰れば妻があたたかい食事を作ってくれ、息子の笑顔も見れる自分の境遇を考えると
とくに今年がひどく悪い年だったと思う気にもならないというのが今の気分である。

初節句2010/05/04

(立派な子供武者の前で、ぴょこぴょこしてぶれる息子)
(立派な子供武者の前で、ぴょこぴょこしてぶれる息子)

 自分の小さい頃の写真に五月人形が写っているのを見たことはあったものの、それがまだ押し入れの奥にある筈だというのを聞いた時には少し驚きもし、実家というのはまだまだ何が眠っているかわからないものだと思った。

断酒千日2009/12/24

 私の「断酒カウンター」の記録によれば、ちょうど世間ではクリスマスイブを迎えるこの日、断酒から1000日が経過していたという。

http://ww2.wt.tiki.ne.jp/~jirou_kasa/sindan/danshcun.html

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 さすがですね。断酒開始日の2007年3月30日(金)から数えると、もう1000日間の断酒達成です。
一日一日の積み重ねが、この記録を作ったのですね! (^o^)丿
 良ければ、断酒継続期間中に節約出来た酒代の計算も出来ますので、参考にしてご自身へのご褒美を考えてみて下さい。

一日当たりの酒代 552 円。
断酒期間中に節約出来た金額は 55万 2千 0円 になります。

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 この間に長男の誕生や運転免許の取得などいろいろあったことを思い返すと、断酒が人生の分かれ道だったな...という感慨しきりである。
今となっては、20代を酒に費やしてしまったのが悔やまれる想いもあるが、息子の顔を見ていると、これでよかったのだという気もする。

順調です2009/11/29

すやすや...
すやすや...

お宮参り2009/11/07

羽田神社
(羽田神社)

 早いもので、出産から1ヶ月が経っていたのだった。
うちの母と妻の家族に集まってもらい、歩いてすぐの羽田神社へお宮参りに行った。

 検診に行った以外はほとんど初めての外出だったが、幸い、風も寒さもなく暖かな日だった。ちょうど七五三シーズンで、それらしき家族が何組か見えた。

 息子の様子はといえば、出る前に授乳したこともあり、玄関を出てから帰ってくるまでずっと眠っていたのだった。
そのため、目を開けた写真はなかったものの、始終おだやかにお参りができてよかった。

 ところによっては、わざと赤ちゃんのお尻をつねって泣かし、元気な声を響かせるという作法もあるそうだが、それもどうかと思う。

3週と少し2009/11/01

おむつ
(おむつ)

 おむつ替えと洗濯の日々である。

 その後、順調に体重も増えてくれ、頬っぺたや全身がぷくぷくとして赤ちゃんらしくなってきた。
また、退院してしばらくはおとなしく寝てくれていたが、一人前に泣きわめくようになってきた。
漫画の「ハットリ君」で、ハットリ君の弟のシンちゃんが泣くとその騒音にまわりの者は痺れてしまうというのがあったが、そこまでいかないまでも、まともに泣き声を聞いていると耳がびりびりしてまいってしまう。

 退院してしばらくは慣れないこともあり、仕事に家事にと大変だったが、妻ももう床上げして徐々に家事も再開し、少しは楽になってきた。最初の山を越えたと思うのはまだ甘いのだろうか。

 洗濯や泣き声、夜中に起こされるといったことは、こういうものかと思えば苦ではないものの、双子を育てている人はこの2倍になるのだろうか...と思うと気が遠くなる。ほとんど眠れないのではないだろうか。大変なことと想像する。

お産のこと2009/10/12

産まれたばかり
(産まれたばかり)

 予定日を数日過ぎ、焦ってもよくないとは分かっているものの、あまり予定を過ぎると助産院で産めなくなることや、慣れた先生が木曜から不在になることなどもあり、なかなかに焦っていた。
散歩や階段の昇り降りその他の成果があったのか、ようやく水曜の未明に陣痛らしきものが始まり、助産院へ移動となった。 

 明け方からは陣痛が強くなり、間隔を調べるため時間を記録するほかに、お尻や腰をぎゅうぎゅう押したりして陣痛をのがす手伝いをした。2~3分うとうとして陣痛が来たらマッサージ、の繰り返しである。
寝不足と疲労でなかば朦朧とするなか、そろそろ産みそうだね、ということで分娩の体制に入る。といっても、シートを敷いたり、器具を用意したりの簡単なものだ。部屋自体も、箪笥があったり、端の方にいろいろな物が置いてあったりと、いわゆる普通のうちの部屋であり、とてもリラックスできる。床に寝転がりながら、病院の分娩室はこれとはまったく違うのだろうと想像した。

 結局、何度かいきんだ末、昼の1時すこし前に産まれた。最中は妻の上半身側で手を握っていたが、もう頭が見えていますよ、と言われのぞいてみると、黒々と毛が生えた頭が見えてびっくりした。産まれた時にもうこんなに毛が生えているとは思わなかった。出てきた瞬間にすぐ火がついたように泣いてくれて本当に安心した。
結局、大きな声を出したり、取り乱したりすることもなく、こんなに静かなお産はなかなかないね、と先生も言うほどの安産だった。妻も、いつ陣痛のビッグウェーブが来るのか、と思っていたとのこと。

 カンガルーケアというのだろうか、まだへその緒が付いている状態で、しばらくお母さんのお腹の上に赤ちゃんを乗せていた。その後、はさみでへその緒を切らせてもらった。小指ほどの太さだったろうか。白く、感触としては腸のようなもので(腸、切ったことないけど)3回くらいじょき、じょきとして切り離した。
産まれたばかりの赤ちゃんは想像していたよりも小さく、間違った持ち方をして痛めてしまうのではとだっこするのが怖かったが、すぐに慣れた。

 その後、母が持ってきてくれたおにぎり等を食べてひと落ち着きして、隣の入院する部屋へ移動した。
病院でのお産が悪い訳ではないが、以前、探していた際に行った病院では、感染などの予防のためだと思うが、家族はしばらくのあいだ面会できないようだった。また、産んだ直後の母親でも一緒にいられない所もあるという。助産院では、妻だけでなく、私や母も産まれたばかりの赤ちゃんとの時間を過ごすことができ、それは本当によかったと思う。

 ここでは4泊の入院が基本だそうで、日曜までいることになった。
翌日は、疲れてはいたものの、いろいろ片づけるため午後3時ごろまで出勤した。たまたま、電車がほとんど動いていない台風の日だった。
午前中は大変な風や雨だったものの、昼、食事をとりに外へ出ると台風一過の晴天。
ひさびさに見た夏のような空の下、台風の残りのような風がそよそよと吹いていた。日差しが強く、寝不足もあってか、からだが暖かくなるような感覚があった。ああ気持ちいいなと思った瞬間、涙がどっとあふれてきた。
気がつかなかったが、だいぶ気が張っていたものか。だいぶ遅れて感動がこみあげてきたのだった。

生まれた2009/10/07

安産でした
母子ともに健康です

きょうから休み2009/08/08

 先月は、クルマ(中古車)の購入や納車、羽田の祭りなど、休日のたびに何かあってわりとばたばたしていた。
それより前のことを思い出してみても、土日はずっと教習所へ通っていたわけだ。
きょうから仕事が夏休みに入り、ようやくひと落ち着きというところ。

 例年であれば、どこかしら何日間かの旅行へ出ていたものだが、今年は妻のおなかも大きいので、めずらしく大きな予定のない夏休みである。
それでも、出産やその後のための準備、運転の練習、ほかにもいろいろと手つかずのままになっていたことを整理したりと、これはこれで忙しく、幸せな休みかと思う。

空港ラン2009/07/12

帰路の夕日
(帰路の夕日)

 晴れた日曜の午後4時。普段通りであれば、大師橋をこえて川崎方面へ向かうコースをジョギングするところだが、急に思い立って空港の方へと向かったのだった。

 毎朝散歩で通る川沿いの道から弁天橋を渡り、短いトンネルをくぐると、空港へと続く荒涼とした風景が広がっていた。
右手には海。まっすぐ空港へ続く道路と、道路に併走するようにモノレールの高架。遠く左手には、建設中の新国際線ターミナルの骨組みが佇んでいる。
片側2車線の道路沿いの歩道を走ることになるが、それほど交通量は多くなく、開けているので排気ガスはそれほど気にならない。

 潮風を感じながら走り、ときおり空港側から来たモノレールを追って振り返ると、西には遠く夕焼けに染まり始めた空。また海の方へ向き直ると青空。光る波と夏の雲。
iPodから流れる音楽も調和し、世界はなんて美しいのかという感覚に包まれる。
新国際線ターミナルビルが完成したり、沖合移転による跡地の利用が始まると、またこの風景も変わってしまうのかもしれない。

 次第に空港に近づくと、離陸する飛行機の大きさや近さに驚く。少し長いトンネルをくぐると、建物や道路が入り組み、随所に立ち入り禁止の表示も見え、さすがに管理エリアの趣である。iPodを外すと、頭の中ではなぜか「ビバリーヒルズ・コップ」のテーマが流れていたのだった。

 途中少し迷ったものの、無事に第1ターミナルへ到着。周辺の殺伐とした風景をよそに、夕方の空港内には観光気分が広がっていた。
空港に銭湯のような温泉施設があればいいのに、というのは贅沢か。

 帰路は夕日に向かって走る。往復で2時間程度、思いがけない良コースだった。